朝一番に教室に入り、そっとアイツ(「ユウキ」)の、机の奥にチョコを押し込んだ。
形は不細工だが、お母さんに教えてもらいながら、アイツを想って一生懸命に作った。
だけど…。クラスのみんなが揃っても、アイツは来なかった。担任がいった。
「ユウキ君は転校しました」。
頭が真っ白になった。
転校!?
昨日、家の前でサッカーボールを蹴っていたアイツと会ったときには、転校だの引っ越しだの、何もいっていなかった。
お互いに照れの入る年齢になり、「よお」というあいさつぐらいしか言葉を交わさなくなっていたことも、あったのか…。
アイツはどこに行ったのか。
机に眠ったままのチョコ。
食べられることのないチョコ。
アイツが食べたら、なんといったろうか。
11年間、一緒だった幼なじみとの突然の別れ。
驚きと切なさで、胸が張り裂けそうだった。
家は隣。
親同士も仲が良い。
一緒にいるのが、日常だった。
インターホンを押すまでもなく、お互いの家を行き来していた。
いつからだろう。
「男の子」としてアイツを意識し始めたのは。
小学2年生の時からだろうか。
下校時、大きな犬に追いかけられたことがあった。
(あとで聞いた話だが、斜向いの藤田さんのお宅のシェパード(「モフ」といった)が逃げ出したとのことだった)
泣きながら逃げる私。
ハァハァと長い舌を垂らしながら、追ってくるシェパード。
「来ないでよ!」
叫ぶと同時。
アイツが来た。
私とシェパードの間に入り、両腕をめいっぱい拡げた。
グルルと唸るシェパードに、ひるみもしない。
その姿に気圧されたのか、獰猛さを失ったシェパードはすごすごときびすを返して、どこかに消えた。
私は、その背中を、ぼう然と見つめていた。
「ハハ、泣いてんじゃねーよ」。
ランドセルからマジックを出したユウちゃん(昔の呼び方がここはしっくりくる)は、ハンカチに「ゆうき100倍」と書いて、渡してくれた。
突然現れた小さなヒーロー。私のヒーロー。
幼なじみは、こんなにたくましく勇敢なヒーローだった。
「モフ事件」以降、私の心拍は落ち着きがなかった。
一緒に帰る、一緒の傘に入る、「マモ」と呼ばれる、すべてにドキドキした。
「恋」だと思った。
私は、唐突に、ドラマでしか見たことのなかった「恋」に落ちていた。
鈍感なアイツがどこまで気づいていたか、わからない。
私も、悟られるのが怖かった。
「幼なじみ」のママゴトを続けて、ずっと隣で笑っていたい気持ちもあった。
夏祭り。
見上げた花火。
手が触れた。
真っ赤になった顔と、激しく脈打つ心臓の音を、知られまいと必死だった。
花火の彩光と爆音に救われた。
小学校のグラウンド。気づくと必死にサッカーボールを追うアイツを、必死に追っていた。
目が合うと、また、必死にそらした。
いつまでも「ユウちゃん‐マモちゃん」の関係を崩したくない自分もいた。
「好き」
11年間、一緒にいた幼なじみだからこそ、タブーのように思えた二文字。
ようやく決心して迎えた2月14日、バレンタインデー。
アイツは、こつ然と消えた。
机の奥のチョコに気づいたアイツが、サッと顔を赤くして、こちらをチラリと見る。
私は、素知らぬフリをする。
でも、そのチョコは「ゆうき100倍」と書かれた、あの3年前のハンカチで包んである。
凶暴な犬から私を守ってくれたヒーローのハンカチだ。
包みをみたアイツは、私からの「告白」だと確信する。
そして、校門でアイツは待っている。
5年前、「入学式」と書かれた看板の前、桜の木の下、手をつないで写真を撮った、あの正面校門でアイツは待っている。
「よお」
異性を意識し、少なくなった言葉をアイツは絞り出す。
「よお」
私も負けていない。
「先に好きになった側」にも意地があるのだ。
会話は少ない。
でも、すごく心地がいい。
西日に伸びた影の手が重なったとき、わたしは、いつしか二人で見た花火を思い出していた。
もう、赤らんだ顔と胸の高鳴りを隠すものはない。
ちゃんといえる。
「好きだよ」
こんな下校の姿を想像していたのに…。
なんてこと!?
どこに行ったの?
私のヒーロー!!
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